昭和39年夏、オリンピック開催に沸きかえる東京で警察を狙った爆破事件が発生。同時に「東京オリンピックを妨害する」という脅迫状が当局に届く。警視庁の刑事たちが極秘裏に事件を追うと、1人の東大生が捜査線上に浮かぶ。 戦後急速に経済復興を遂げた時代を背景に、日本社会が持つ格差という病魔への激しい警鐘を描く。
(奥田英朗)1959年岐阜県生まれ。プランナー、コピーライター、構成作家を経て作家に。『邪魔』 で大藪春彦賞、『空中ブランコ』 で第131回直木賞、『家日和』 で柴田錬三郎賞、本作で吉川英治文学賞を受賞。主な著書に 『イン・ザ・プール』 『ガール』 『サウスバウンド』 など。
奥田英朗の新境地。と巷で話題の通りの骨太作品。久々に1ページ上下2段組の本を読み、ページが進まない進まない。1冊ですが分厚い上下巻のボリュームがあり十分堪能できます。
この頃の小説は、実は犯人はコイツでした!的な、ラストで大ドンデンというモノばかり読んでいたので、初めから犯人とその周囲について丁寧に追っていく本作は新鮮でした。久々に小説らしい小説で大ドンデン物にはない充足感があります。
昭和39年、『もはや戦後ではない』 と謳われ東京オリンピック前夜の異常な好景気の中、なお色濃く残る敗戦の爪痕が痛々しく表現されています。地方と中央の歴然たる格差、人柱のように働かされ、ヒロポンと呼ばれていた覚せい剤を常習していた出稼ぎ人夫達、東大を中心とする学生運動の堕落した実態、それらすべてを大学院生しかも東大という特権階級に身を置いている自分を通じて島崎は、何を見て何を探ろうとしていたのでしょう。果たして一連の事件はすべて島崎個人に原因があるのだろうか?
ここまで考えるとすぐに思い浮かぶのは、現代の格差社会が生んだ現代のテロリスト達。記憶に新しいのは秋葉原無差別殺傷事件。犯人個人の問題としようとする動きと格差社会が生んだ弊害だとした動き。どちらが正しいとも間違っているとも言い切れない、この 『時代』 が生んだとしか言えない大事件。誰もが幸せを求める時代に、それを求めても与えられない人々がいる、その事実が、重い。そしてその昭和39年(1964)から半世紀近くたった現代でも全く事実が変わっていないことが非常に、重い。
冒頭、島崎が郷里の村の女に頼まれて出稼ぎに行ったまま行方不明になった彼女の夫を訪ねるシーンで、つくづく幸せって何なのだと打ちのめされる。家族と幸せに暮らす、たったそれだけの幸せさえも望んでも叶えられなかった時代。豊かさが目に見えるようになったとは言えいつの時代もその時代を生き抜こうとする強い意志がなければ生き抜けないのだろうか?島崎はその意志が弱かったということなのだろうか?
そうではないと思う、ただ他人の幸せの上に自分の幸せがあることを知ってしまった以上、知らぬフリができなくなったということなのだろうか。
工事現場の飯場での人夫同士のいさかいを見て、島崎は嘆く。自分達をこんな生活に押し込んだ社会体制に対する不満ではなく、同じ底辺にいる者同士が不毛に争う姿を見て、心底嘆く。これも人夫達が単に世の中を 『知らない』 からなのだろうか?
60年代から数えて約半世紀。時代は良くなったか?それとも格差はこれからも依然として存在し続けるのだろうか。幸せはどこにあるのか、考えが止まらない小説である。ぜひご一読を。
評価:(必読。)