天才数学者の博士宅に通うことになった家政婦の私。博士は自身の記憶が80分しかもたないという難病の持ち主だった。しかしこの世界は驚きと喜びに満ちていると、数式を通じて私に教えてくれたのは博士だった。記憶がもたないことへの焦りと絶望を抱えながらも頑なに自身の世界観を保ち生き抜こうとする博士、その博士を理解し博士の 『友達』 になることを決意する私とその息子。人が生きるために必要な物とは、真の友情ではないか。常識にとらわれない3人の友情を描いた、意欲作。
第1回 『全国書店員が選んだいちばん!売りたい本大賞』 本屋大賞2004年受賞作。
今年から新設された
『書店員が選ぶ売りたい本大賞』 第1回目に選ばれた本作。話題になりましたので私も手に取ってみました。最近狙いすぎ、という書評の本を多く見てきたのでさほど期待していなかったのですが、とてもよかったです。
全体は家政婦である 『私』 の1人称で進みます。以前も書きましたが私は1人称の本はあまり好きではありません。非常に主観的な印象を受けるからです(当たり前ですが)。でもこれは 『私』 の主観が非常に研ぎ澄まされていて、受けて側に非常によく伝わる作りになっていました。
博士は記憶がきっかり80分しか持たないという難病です。毎朝 『私』 は家政婦として出勤する際に
『あなたの家政婦ですよ』 と挨拶することから始まる、というなかなか厳しい環境に置かれています。博士自身も自分の記憶が80分しかもたないことは自覚しているため、毎日着ている背広の袖口に 『僕の記憶は80分しかもたない』 というメモがクリップで留められているという…。なかなかシュールな光景です。
評価:





(5つ満点)
それでも 『私』 と博士は徐々に信頼関係を築いていき、途中から学校帰りに毎日博士宅に寄ることになった10歳の息子ルートも博士との友情を育んでいきます。ルート、という命名は博士によるもので、頭のてっぺんがまっ平らだから。全編を通じ彼の名は 『ルート』 として表現されます。もはや母親である 『私』 にとっても彼の名は最初から 『ルート』 であったかのように。
数学専門誌の懸賞問題を解くだけが生活であった博士に変化が訪れるのは、彼がかつて熱烈な阪神、しかも江夏ファンであったことが判明することから、同じく阪神ファンであるルートと 『私』 は長らく外出をしたこともなかった博士を野球観戦に連れ出します。その結果博士は発熱してしまい、雇い主である彼の義姉には一旦解雇されてしまうのですが、そこまで 『私』 とルートを動かした力は一体何だったのだろう。 『私』 自身と共に読者も考えます。そしてそれがやはり、博士の喜ぶ顔が見たい、という本当にシンプルな自分自身の欲求であったと気付くのです。
相手の喜ぶ顔が見たい。そう思う気持ちが友情ではないでしょうか。
複雑な環境に置かれている博士と、複雑な家庭環境に育ち、自身も未婚のままルートを産み育てている 『私』 、決してシンプルとは言えない人たち同士の関わりあいですが、非常にシンプルな話に感じました。
人生は複雑なようでいて、シンプルなものなのかもしれないです。そして友情とは、そういうものなのかもしれないですね。
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