というお話。
来た早々、綿貫は庭のサルスベリの木に 『懸想』 されます。つまり惚れられちゃう。綿貫が詩や自作の小説を読んでやると嬉しそうにするって…自分も懸想されて結構まんざらでもない様子。その辺がちょっと可笑しい。
この本は時代設定が明治のためちょっと難しい言い回しが出てきますが、それがまたこの本の雰囲気を一層盛り上げています。どこからともなく現れ、家に住み着いた犬のゴロー、ゴローを可愛がり何かと世話を焼く隣のおかみさん、このおかみさんもまた面白い。
河童の抜け殻?が庭にあり、初めて見た綿貫が捨ててしまおうか思案していると、隣のおかみさんがやってきて、こんなに見事な抜け殻は見たことがないからそのまま取っておけと言う。様々な怪現象に慣れつつあった綿貫も、おかみさんが河童の抜け殻まで知っていることに驚き問い質すと、おかみさんは 『そんなことは知っていて常識』 だと言う。おかみさんも実はキツネとかだったりして…いや河童かも…(笑)。
その他、人魚に狸(綿貫は何度も化かされる)、寺の和尚(本当は狸かも)など多彩な顔触れ、そして当たり前のように掛け軸の中から戻ってくる、死んだはずの友人 高堂。彼は湖の底に住むと言う。それはどんな所なのか?
元来、日本人は全ての生物である動物や植物に 『気』 を感じ、それらの助けを借りながら生きて来た、ということを思い出させてくれる本です。
フィクションでありながら、どこか懐かしさを感じさせる不思議な感覚の小説です。
(おまけ) 文中、土耳古(トルコ)に研究にいった村田という綿貫の友人の名が何度も出てきますが、これは 『村田エフェンディ滞土録』 の主人公ですね。これも読まなきゃっ。
ゴロー
ヤモリ