しかしこの一連の事件、小説の成り立ちを 『外』 から眺めてみるとどうだろう。
小説にリアリティが必要、と犯人は言うが、そもそもリアリティの感じ方、捉え方は人それぞれである。ある人がリアルだと感じることであってもある人にとっては虚構と感じることもあるのだ。
つまり犯人にとってのリアルが他人にとってもリアルであるとは限らない。
この事実に気付いていなかった犯人はやはり、愚かであるとしか言いようがない。
また真のリアリティをこの小説に求めるならば、刑事 雪平夏見の存在がまずリアルではない(笑)。
散らかしすぎて片付けられない女は確かに存在するが、多くがその事実について悩んでいるがどうしようもない、という状態である。だが雪平は全くこの事実に悩んではいない!このことがまずリアルじゃないと私は思うけど…。
ごくわずかな少数派として雪平のようなタイプもいるのかもしれないが、雪平の存在自体がまず 『アンフェア』 だと思う(笑)。
あとがきにある書評に、著者は本作でTVドラマでは表現できないことを小説にした、とあるが、私は違うと思う。むしろこの小説は非常にTVドラマ的であると感じた。
目をそらさなかった。
目をそらさなかった。
目をそらさなかった。
なんて記述は必要がない。同じ言葉を3行も続けたらまるでマンガのようだ。
本作は一般のフィクション、小説として読むと、私にとってはリアリティがなく、雪平をはじめとする登場人物のキャラクター設定を突飛にしただけの、あまり手ごたえがないものに感じた。登場人物同士の関わり方もイマイチで、事件の解決が雪平ただ1人の勘に拠るものが大きいのも納得いかない。
ただ、小説という手法でリアリティを追求するばかり、現実に事件(殺人)を犯すことは実に愚行である、というメッセージ性を伝えることが目的のものだととらえてみると、いい本なのかもしれない。
なんて、辛口で書いてしまいました。これはやっぱり小説というよりドラマですね、ドラマがヒットした訳がよく分かります。