大学の恩師であり友人のお父様である先生が11日お亡くなりになりました。私にとってもその事実を受け止める時間もないままにお葬式の日を迎える事となってしまい、友人とご家族の皆様にはなおさらそうであったのではないでしょうか。
先生は私達が大学に入学するずっと以前より学会の第一人者として責任ある重要なお立場でした。そのような先生でいらっしゃるというのに私達は 『友人のお父さん』 として親しくさせて頂き、先生には 『娘の友人』 として本当に可愛がっていただきました。先生は私のことを友人が呼ぶように 『AKKO』 と呼ばれ、それは実習授業内でもそうでした。
先生は昭和ヒトケタ(とよく友人は言ってました)でいらしたのですが、考古学者らしく何に対しても興味を持たれ、常に好奇心旺盛でした。私達が夢中になっているものに対しても興味を持たれ、会話に加わろうとされる先生。
先生には担当教官でもないのにずうずうしく卒論も見て頂きました。担当教官の先生には黙っておきなさい、僕が見たと聞くと失礼に当たるからね、ともおっしゃいました。そして私の研究は 『面白い(個性的である)』 もっともっと書き込みなさい、と言って頂いたのに、今も中途半端なままです。
もしまた論文を書くことがあってももう先生には見て頂けない。訃報を受けた時まずそう思ってしまいました。でもそれは間違いですね。学会の重鎮でいらした先生という方に、大学4年間だけでも教えを頂いたこと、これだけでもとても幸せなことだったのです。
お葬式の弔辞の中の言葉 『先生に教えを頂いた学生は優に5000人を超え』 と聞いた時、私もその一人なんだな、としみじみ思いました。そしてその一人に恥じないよう、先生の学生であったことを忘れないようにしようと。
訃報を知らせてくれた友人に。お葬式では何も話せなかったけれど、いつも心配しています。困った事辛い事があったらいつでも行くからね。こう思っているのは私だけではなく、私達みんながこう思っているんだよ。だって学生時代、色んな事に一生懸命だった時代を一緒に過ごした仲じゃないの。うまく言えないけど、どんな時もこれからも、楽しい時だけじゃなく辛い時も友達であり続けたいのです。
最後になりましたが、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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