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光*三浦しをん

hikari.jpgかつて信之、美花、輔が暮らしていた美浜島。大津波により家族も家もふるさともすべて一夜で失うこととなった子ども達。信之は大人になってからも幼なじみの美香を忘れられずにいた。決して断ち切ることのできない運命の糸が3人の人生をどう狂わせて行くのか。孤独を抱えそれでも愛情を求める、大人になりきれない子ども達の物語。
(三浦しをん)1976年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。『まほろ駅前多田便利軒』 で直木賞受賞。主な著書に 『私が語りはじめた彼は』 『しをんのしおり』 『三四郎はそれから門を出た』  など。 

巷ではこの本は恋愛モノに分類されているようでちょっとビックリしますが、これはアダルトチルドレンの物語です。
アダルトチルドレン:機能不全家庭で育ったことにより成人しても内心的なトラウマを持っている人のこと。 「子どもっぽい大人」 の意味ではない。
です。

信之も美香も輔も津波という大惨事で家族も故郷も一気に奪われ、それまで自分の中に持っていたすべてのアイデンティティーを一挙に崩されます。繰り返し出てくる一文に 『暴力によって奪われたものは暴力によってでしか償うことができない』 というものがあります。暴力行為を行うたびに信之が、自分の行為を自問自答するたびに呟くこの言葉。津波という暴力によってすべてを奪われた自分は、同じ暴力によってでしか自分を取り戻すことができないのだ、と自分を正当化しようとする信之。

ハッキリ言ってこれは卑怯。人間は負のスパイラルに取り込まれてしまえば決して逃げ出せないのだと常に自分を正当化しようとする信之。しかしながら彼のこの卑怯さまでもが、彼が本来持っていた人間らしさや優しさがあの大津波によって失われたと考えれば、信之だけを責めることができない、とも思わせてしまう。なかなかに厳しいところを突いて来ます。

信之の考えと行動は人としては許されないものです。しかし人としてそこまで堕ちてしまった彼に対する想いは、嫌悪というより哀惜になってしまいます。 【人はファミリーを失っても生きていけるが、ホームを失っては生きていけない】 という言葉を、しみじみ感じます。

ラスト、定期連絡船の甲板から、崩壊しかけている美浜島を家族とともに眺める信之が哀れでなりません。同じ景色を美花も、輔も、見たかったのではないでしょうか。決して共感はできないのに切り捨てることもできない、そんな後味の残る物語です。

評価:(5つ満点)
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年齢:
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1972/02/16
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