失踪した作家が残した原稿。そこには25年前の少女誘拐・監禁事件の被害者が自分であったという驚くべき事実が記してあった。一通の手紙をきっかけに、奔流のようにあふれ出した記憶。1年間の監禁生活が少女にもたらしたすさまじいまでの影響とは。桐野氏自らが 『グロテスク三部作』 と呼ぶ第ニ作目。
『週刊アスキー』連載に加筆して単行本化。 柴田錬三郎賞受賞。
人が生きてゆくために必要なものとは何か。
『自分は愛され、必要とされている』 という確固とした信念ではないかと思うのです。東野圭吾 『白夜行』 での感想でも書きましたが、親としての何よりもの責務は日々子どもに幸せな毎日を送らせることだと、痛切に感じる一冊でした。
本作は作中、失踪した作家の手記(作品)という形で書かれた小説です。この小説の前後をはさむ形で作家の夫という人物の独り語りが入っています。こうした形式をわざわざ取ったのはなぜか。
本当に、これまで普通に生活を送ってきて突然監禁される生活に陥るということは想像しがたいものです。まさに監禁された本人にしか分からない、その理不尽さ、恐怖、絶望感。今回は作者はそれを描き出そうとしたのではないかと思います。そして、監禁により生まれた、何年経っても癒されることのない心の傷。
評価:




(5つ満点)
更にこの作品が秀逸な点は、こうした監禁行動は決して監禁者一人だけでは続けられないということを示唆している点です。本作では被監禁者であった作家の想像の部分もありますが、監禁されていた工場2階の工員住み込みの部屋の隣にいた別の工員も、そして工場の社長夫婦ですらもこの監禁の協力者であったのではないか、としています。大き過ぎる悪意は周囲の小さな悪意で固めなければ、隠し通せないと書いているのです。
人は人として尊重されなければならない。そんな当たり前のことが、崩壊している現在。自分の周囲ではどうでしょうか。自分自身を大切にできなければ他者を大切にはできないのではないか、と思ってきましたが、自分自身の欲望を抑え切れなければ他者を犠牲にしてしまうこともある。昨今はびこる極端な個人主義のひずみが露呈した結果ではないでしょうか。
誰でも、人生を幸せに送る権利があります。その権利さえも子ども時代から奪われてしまっていた彼女。取り戻そうとしても取り戻せないものがある。
胸が詰まります。
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