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海からの贈りもの*アン・モロー・リンドバーグ

img20050915.jpg与えるのが女の役割であるというのなら、その泉が涸れてしまわないよう、女もまた満たされなければならない。1950年代に執筆され、その後1970年に最終章が追記されたものでありながら、全く古びた感を感じさせず、現代を生きる私たち、特に女性の生き方への指針となる本書。著者の暮らしの姿勢と哲学を落合恵子の訳で贈る。

日々悩み、悩むことにまた悩んでいた日々に、友人が送ってくれた本です。
答えがここにあると、思いました。必要なものはここにあったのだと。

アン・モローは、人生には少しのものだけあればいいと言います。経済的にも恵まれ、世界的にも著名なリンドバーグ氏と結婚した彼女がそういうのは、お金持ち特有のセリフかのようですが決してそうではなく、誰しもアンのように生きられるのではないかと思うのです。

アンの生きた1950年代は確かに、アンのように時々子どもたちを預けて別荘のある島へ来て、1人自由な時間を過ごす、というのは多くの女性には難しいことであったに違いありません。でも現代である2005年には誰しもが、特に日本においては誰もが、自分らしく生きようと思えば生きられる、自分のために時間を使うことができる環境にあると思うのです。
それをなぜうまく行使できないのか。

評価:(5つ満点)

私が愕然としたのは、この本が1950年に書かれたということです。50年も昔。でも女性の悩みはその頃とほとんど、全くと言って変わっていないという事実にまた驚愕を覚えました。最終章は1970年にアンが追筆し、自分の娘達を見ていても自分と同じ悩みを抱えながら生きている、20年経った今も女の持つ悩みは変わらないのか。とあるのですが、それどころか50年経った今も変わらないのですよ。

つまりそれだけ、人の持つ悩みというのは普遍的なのだということだと思うのです。
この本に書かれている 『人は皆もともと孤独である。私たちは孤独である、ということをまず学びなおさなくてはならない。』 という一節が、非常に身に沁みました。

そうです。一人一人は違う人格を持ち、それぞれ踏み入って欲しくない領域があるのです。それは長年の親しい友人であっても、愛し合って結ばれた夫婦であっても、同じことなのです。この本はフェミニズムを冗長しているものでも反発しているものでもなく、ただ女性という性は生きていく上で様々な役割を要求され、それに応じて自分の形態(心の在り様)も変化させて行く必要がある、ということを教えてくれています。

どうして、と思うとき。
疲れた、と思うとき。
またこの本を開きたいと思います。友人もいつも傍に置いていると話していました。彼女と自分のために、ぶきっちょな私がカバーを作りました。詩集と一緒にいつも枕元に置いておけるように。

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木皿泉 『昨夜のカレー、明日のパン』
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年齢:
53歳
誕生日:
1972/02/16
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