長年子どもと絵本を読み続けてきた著者が子どもへの想い、絵本への想いをこめて綴る絵本案内。 赤ちゃん絵本と赤ちゃんとの関係、物語絵本が子どもに必要な理由、ナンセンス絵本の楽しみ方など長谷川氏の絵本に対する理論の集大成。『母の友』 連載に加筆修正し一部書き下ろしを加えて単行本化。
(長谷川摂子)1944年島根県生まれ。東京外国語大学卒業、東京大学大学院哲学科中退。公立保育園で保育士として6年間勤務。『人形の旅立ち』 で椋鳩十児童文学賞、坪田譲治文学賞、赤い鳥文学賞を受賞。主な著書に 『めっきらもっきらどおんどん』 『きょだいなきょだいな』 など。
赤ちゃんとの絵本の楽しみ方についての記載が丁寧に綴られています。長谷川さんってすごい経歴ですね、外語大を出て東大の哲学科を出た後、保母さんをやっていたなんて…。そして本も書き絵本も出す。才能って本当に集結するものですねぇ。様々な絵本が巷には溢れていますが、赤ちゃんが喜びそうなキャラクター絵本についての警鐘、物語絵本を大事にすることの意味、など明確に論述されています。
キャラクター絵本
『自分』 と
『キャラクター』 は別の存在である、ということをまず認識できなくてはいけないそうです。そうではない粗悪なものが多いように思える…というようなことが書いてあったような。具体的に国民的に大人気のキャラクター絵本がコテンパンに書かれていたので、ご興味のある方は本書をご覧ください。うちも2冊ほどありました、ネコさんのキャラクター(汗)。
物語絵本
物語絵本を読むことの一番の意義は、読み手である子ども自身が主人公になりきれるものかどうか、ということ。
『おおかみと七ひきのこやぎ』 や
『ぐりとぐら』 というスタンダードのみならず、長新太、スズキコージ、片山健といった私が苦手な作家陣の絵本についても詳細に記述があり、大変勉強になりました。自分が苦手でも子どもが好きなものだったら読んであげるべきですよね。特に片山健の
『どんどん どんどん』 ではひたすらに男の子が突き進んでいく様子、男という生き物の衝動である、といったようなことが書かれており、おおっと思ってしまいました。男はひたすら進むものなのか…なるほど。
記号としての子ども
林明子や山脇ゆり子と言った人気作家の絵についても触れており、写実的な挿絵が必ずしも良いのではないということ、絵本の中に絵が描かれる子どもはあくまでも
【記号としての子ども】であるということ、というくだり、もはや絵本論、哲学バリバリでございます。そして
キッチュとは
すっかり哲学書となった本書のP199より抜粋。
キッチュ絵本は存在の不安をてっとりばやく癒してくれる快い絵本。物語絵本は読み手の存在を越える独自の作品世界を持つもの、と言えるでしょう(本書P199より抜粋)。
だそうですよ。キッチュって一体…。
存在することの不安から、誰しも逃れることはできない。とはよく心理の世界でも言われ続けていることですが、赤ちゃんが泣くということもこの存在することの不安だったのか。だからおかあさんがそばに行って抱っこすれば落ち着くわけで。などなど考えてくると、私も存在することが非常に、不安(笑)。
児童文学
そして児童文学。長谷川氏はこの児童文学を読む時代こそが
【人生のゴールデンタイム】 だと明言しています。親と子で同じ物語を共有することができる時期、同じものを読み同じ感動を味わうことができる喜び。本当にそうですよね。
第1王子の時にやり残したこの児童文学を一緒に読む、第2王子こそは、実現せねば!『冒険者たち』 『大草原の小さな家』 『床下の小人たち』 …読む本は、山積みです。
評価:




(5つ満点)
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