この 【墓】 は真っ黒い大きな建物状で、夏至と冬至だったか年2回だけ壁に文字を刻み神官と呼ばれる墓の世話係に指示を出す。腐海の存在も自分達人間すらも墓の 【浄化計画】 であったことに気付き憤慨するナウシカ。ナウシカら現在の人類は旧世界の人類により作り変えられた、毒の耐性を持つ 『中間種』 に過ぎず、世界はやがて腐海により浄化されるが浄化された時は毒がなければ生きられない現種の人間は絶滅する、という事実に気付いた時、ナウシカの墓への反撃が始まる。
ナウシカはこう語る。
『毒がなければ生きられない身体に作り変えられたのならば、
私達は腐海と共に生きよう。
腐海もまた私達自身なのだから。
おまえたちが私達人間を作り変えたと言っても、私達は【今】を生きている。
作られた未来などいらない。』
つまりですね、旧世界の人類はこの世界は汚染しつくされてもうダメだと思った。そこで自分達の種と遺産を残すため、一旦世界を巨神兵で全部ぶっ壊しそこに新しいOSを置いて腐海を作り、腐海には1000年かかって汚染を浄化するシステムを実行させた。腐海の進行(広がり)にはオームを使う。個々のオームは意志を持つがオームはみんなで一つの意志を持つ、というプログラムである。それらの管理をするのがOS=シュワの墓所、だから墓所もオームも同じ青い血が流れている(電源?)。
この世界は浄化された時に遺産を受け継がせる必要があるため、世界を維持するために人類を残す必要があるが、その人類には腐海の毒性に耐えられるよう耐性をつける必要がある。ただ、その耐性が強いために最終的に浄化された世界では生きられない身体になるという欠点があった。結局は現在生きている人類(ナウシカら)は世界を浄化させるために組まれたプログラムの一部であり、プログラムが完了されれば不要になる存在なのだ。
だからナウシカはあんなに怒るわけで、当然です。マトリックスと似ていると思ったのはここです。
OSはプログラムを実行するために人間を作り変えた。しかし人間達は自分の意志を持ちOSに対抗し打ち勝つ。またプログラムの一部であったはずのオームにさえも 【意志】 が生まれていることにナウシカは気付く。シュワの墓所という制御(OS)を失ったプログラム(腐海)がどうなるかは不明ですが 【それでも生きる】 のがナウシカ達人類。実に深~いテーマです。
やっぱり成功する人(宮崎駿氏)の頭の中って進んでるんだな。と実感しました。正直ナウシカは未完ですがこれは一生未完でいい作品なのかもしれません。