人の想いは死んでなお、愛する人によびかける。18歳の時に両親を亡くし家業の葬儀屋を継いだ森野。弔ってきた死者達の遺された思いがまだこの世に残っているのだろうか。死者の幽霊を見たり届くはずのない死者からの贈り物が届くなどの様々な事件を葬儀屋の森野が巡る連作短編集。 『MOMENT』 続編。
(本多孝好)1971年東京都生まれ。慶応義塾大学卒業。『眠りの海』 で小説推理新人賞を受賞。主な著書に 『真夜中の五分前side-A/side-B』 『正義のミカタ』 『チェーン・ポイズン』 など。
前作MOMENTで主人公だった神田とその幼なじみの葬儀屋の娘 森野は、まるで男同士のようなサバサバした友情関係だと思ってたのに、MOMENTから7年余いつのまにか2人はアメリカと日本という遠距離恋愛中だそうで。それでも相変わらず森野はハードボイルド女子だったりします、そんな森野ちゃんがどうやって神田くんと恋人同士、と自認するまでに至ったのか、それもかなり気になるんだけどそこは割愛されてます。
アラサー森野は18で継いだ葬儀屋を守り続けて早10年。頼りになりすぎの番頭(父親の代からの社員)と全く頼りにならない丁稚(元バンドマンの新入社員)を抱えた女主人、という設定がハマリすぎだけど、その設定で巻き起こる様々な幽霊騒動や葬儀にまつわる不可思議現象を、前作同様主人公が冷静に論理的に解き明かしていくシリーズ、としてすっかり定着です。
幽霊騒動も葬儀やり直し事件も、話だけ聞けば十分に怪奇現象であるのに実は…という謎解きは、MOMENTの時はあまりに理路整然過ぎてちょっとな、と思ったけど今回はそれを楽しめるようになりました。人の思い込み、怖さとか恨み辛みってやっぱり思いもかけない方向へ走ってしまうものなんですね。本多孝好の面白さが私にも少し分かってきたのかもしれません。
作中、恋人である神田からは 『森野』 、番頭である竹井からは 『お嬢さん』 と呼ばれ続けてきた森野をラスト、アメリカから迎えに来た神田が初めて下の名前で呼ぶシーン。葬儀屋の娘に付けられた名前が、あれだったとは!ちょっとした驚きが待ってます。
気になる方はぜひご一読を。
評価:(5つ満点)
人は似たような2つの写真、例えば 『毛がもこもこの羊』 と 『毛がすごく短い羊』 を並べると否応なしに 『この間に何があったのか?』 を想像し始めてしまう。大掛かりな人工物から身近な出来事まで 『あいだの出来事』 を面白く想像できる写真を集めた。予想通りのものが表れた時でさえ独特の嬉しさがこみ上げる。佐藤雅彦+ユーフラテスの 『中をそうぞうしてみよ』 『なにかがいる』 に続く科学絵本の第3弾。
(佐藤雅彦)1954年静岡県生まれ。東京大学教育学部卒業。メディアクリエーター、東京藝術大学大学院教授、慶應義塾大学客員教授。主な著書に 『佐藤雅彦全仕事』 『クリック』 など。
(ユーフラテス)慶応大学 佐藤雅彦研究室の卒業生からなるクリエイティブグループ。2005年12月活動開始。
福音館書店の月刊絵本も22年度に入りました。例年4月号はどのシリーズも結構力が入ってるんですよ~ということで皆様も4月号(3月発売分)は要チェックですよ。
今月のかがくのともは、ピタゴラスイッチでおなじみの佐藤雅彦+ユーフラテスの科学絵本第3段。 『なにかがいる』 も結構おはなし会で使ってきた私は楽しみにしてました。Aという写真とBという写真があった時、この間に起こった現象は何か?という写真絵本です。次の見開きページに間に起こった現象の写真が載ってます。解説文にある通り、大体何が起こったかなんて見れば分かるんですけど、それでも 『こういうことだったんですね~』 という種明かしのページを見ると安心するというか納得するというか。大人も子どもも楽しめる絵本です。
またこの 【Aに何らかの現象が起こりBに変化した】 とは、数学的に言えば 【関数】 ということになりますね。ということでこの本、幼児~小学生だけではなく、中学校でのブックトーク(数学)にも使えるんじゃないの!と張り切ってます。折り込み付録の解説は茂木健一郎とこちらも福音館、気合い入ってます(笑)。本当に最近の写真絵本、科学絵本は単なる図鑑絵本ではなくこのように工夫がなされたものが増えてきて、ますます楽しみです。
評価:(5つ満点)
普通のサラリーマンだった耕平は会社の倒産をきっかけにじわりじわりと落ちていく。日雇い派遣、サラ金、インターネットカフェ宿泊と切迫していく中、まだ戻れる、まだ間に合うと思いながら。いったん失った 『明日』 をもう一度取り返すまでの物語。『IN☆POCKET』連載を単行本化。
(乃南アサ)1960年東京都生まれ。早稲田大学中退。広告代理店勤務等を経て作家活動に入る。『幸福な朝食』 で日本推理サスペンス大賞優秀作、『凍える牙』 で直木賞を受賞。主な著書に 『涙』 『鍵』 『しゃぼん玉』 など。
この頃こういうテーマの本によく当たるような気がしますが…時代でしょうか。それにしても耕平のこの転落ぶりはすごくリアルというか身につまされるというか。そして耕平の性格のいいかげんさ、根性のなさ、無気力さがまたまた実に今の若者らしく、乃南氏の人間観察の鋭さ、人物設定の見事さにまた今回も脱帽です。
どうしようもない若者だった耕平も、多くの散々な経験を通じて徐々に成長していきます。この 『成長ができる』 という人間とは、何て素晴らしいんでしょう。作中ほんっとうにどうしようもなく、数々の失敗もどうにも同情できない、救い難い若者だった耕平にも、実家の母親やばあちゃん、住み込み先で出会った杏菜など変わらず彼に優しく接してくれる人がで周囲にいてくれて、その人たちからの断ち切れない愛情と呼べるものがあって、それが徐々に彼の考えや生き方を変えていく。耕平が徐々に心を入替え大人になるのです、どんな人もやがて大人になるのだという事実。
誰からも見ても救い難い、馬鹿者だった耕平ですら様々な経験を経てようやく大人になり、自分も周りの人も幸せにしようとする道をつかみかけてきた。人は誰でも成長しやがて大人になるのですがその間様々な試練がある。そのために家族や友人といったセーフティネットがやはり、誰にでも必要なのですね。
耕平の最大の強みもここにあったのでしょう、帰る故郷があり、家があり、友がいる。当たり前に思えることでもそれを持たない人はたくさんいるのです、作中の天涯孤独の杏菜のように。当たり前のように思える自分の財産(家族、友人)を持っていること、恵まれている自分に感謝をしなくてはならない、というのが本作のテーマでしょうか。そしてその財産を持つ自分自身が、財産を殖やすためにも努力し続けなくてはいけないのです。耕平が自分の持つ当たり前の家庭、幸せを、杏菜にも与えたい、と思うようになるところで物語が終わります。
乃南氏の小説はたとえどん底を経験してもいつも、明るい方を向いて終わります。それが何より、読者として心救われる思いです。
評価:(5つ満点)
なぜ言葉で表現することを選んだのか。高橋源一郎、川上弘美ら8人の作家達と穂村弘が繰り広げる、言葉を書く人間同士の 『書くこと』 についての対談集。
(穂村弘)1962年北海道札幌市生まれ。上智大学卒業。歌人、翻訳家、エッセイスト。『短歌の友人』 で伊藤整文学賞、『楽しい一日』 で短歌研究賞を受賞。主な著書に 『シンジケート』 『短歌という爆弾』 『もうおうちへかえりましょう』 『本当はちがうんだ日記』 など。
(収録作品)明治から遠く離れて(高橋源一郎 述)/生き延びるために生きているわけではない(長嶋有 述)/不確かな“日常”、立ち向かう“言葉”(中島たい子 述)/歌のコトバ(一青窈 述)/うたと人間(竹西寛子 述)/言葉の渦巻きが生む芸術(山崎ナオコーラ 述)/「酸欠」世界から発する言葉(川上弘美 述)/言葉の敗戦処理とは(高橋源一郎 述)
高橋源一郎との対談、文学は直列から並列に、という話からいきなり難しい語彙が続出…。 『慰藉(いしゃ、なぐさめ)』 『リリカル(抒情的な)』 とか普段使わない言葉は辞書引いたり中学校の先生に聞いてみたりして、そういう意味だったのか。この年になっても知らない語が読んでいる本に出てきてしまうことにちょっとショック+新鮮さを味わってしまいました。でもやっぱりなんでわざわざ 『慰藉』 って難しい言葉を使うの?(やっぱり分かってない)
確かに文学は既存のものを壊すことから次の世代を生み出してきたのかもしれません。その流れが近代文学、つまり大江とか三島あたりで停まってしまい、そこから次の世代はみんな並列に出てきた。つまり前世代の文学を読み尽くしそれらを踏襲もしくは破壊し先へ進もう、という世代でなく、全く関係ないところから出てきた新しい世代。高橋氏の説ではホラーとかマンガとかを読んできた吉本ばなながその代表だそうです、なるほどそうなのか。と文学史論争のあたりはやや退屈…(苦笑)。
中島たいこは私も好きです。 『漢方小説』 オススメですよ。山崎ナオコーラも何冊か読みました、山崎さんがホムラさんと同じ文芸誌に載ったことで 『私もスゴイ所に来たな』 と思いましたというくだり、山崎さんなかなか可愛らしい素直な人ですね。一青窈の詞(詩)を改めて文字で見ると確かに面白いですね、変な日本語ですよ。読み終わってすぐ一青窈のCDを探しだして聴いてしまいました。川上弘美はやっぱり変な人でしたね、対談でも何言ってんだかよく分からない(笑)。
そしてやっぱりすごいのは、ホムラさんが対談相手ごとに目まぐるしく会話のリズムもカラーも変えられるところでした。年齢も性差も超えて誰とでも語り合える、さすが現代を代表する歌人 ホムラさんですね。
漢方小説*中島たい子
Bestyo*一青窈
政財界から 『神』 と崇め奉られる私達の父。父の妻の一人に焦がれる息子。互いに惹かれあう異母姉弟。やがて姉は両家の子女だけが通う 『あの学校』 へと家を出される。不可思議な 『あの学校』 の存在に気付いた一人のジャーナリストが、外の世界と隔絶された 『神の子ども達』 を救うことになるのか。『雨の塔』 続編、『RENZABURO』 連載を単行本化。
(宮木あや子)1976年神奈川県生まれ。 『花宵道中』 で 『女による女のためのR-18文学賞』 大賞と読者賞を同時受賞しデビュー。 主な著書に 『白蝶花』 『セレモニー黒真珠』 『群青』 など。
(収録作品)野薔薇/すみれ/ウツボカズラ/太陽の庭/聖母
イマイチ設定が理解しにくかった前作 『雨の塔』 に比べ、今回は分かりやすくできてます。この物語が秀逸なのは、全ての章を権力側(永代院)の視点のみとせず、庶民側(ジャーナリスト)の視点を入れた章(太陽の庭)があること。この章のおかげでコインの表裏がよく分かり、社会のというか世界の仕組みまでよく見通せたような気がします。永代院という狭い社会に生きてきた葵、泉水らは果たして広い外の世界と相容れることができるのだろうか?
雨の塔のある大学が 『Google mapでグレーに塗りつぶされている』 なんてあたり、恐怖心の煽り方がうまいですね。世間から権力者、と崇められていた永代院の人々ではありますが、その社会はあまりにも狭すぎて、しきたりに囚われすぎていて身動きが取れない。やはり幸せとは、選択肢のあること、なんですね。
でも何となく憧れてしまう、【特権階級】という響き。そこがやっぱり私も庶民なんだな(笑)。
評価:(5つ満点)
交通刑務所で発見された 『前へ倣え』 姿の遺体。なぜ殺人は刑務所内で行われ、犯人は逃走しおおせたのか。逃走した犯人である受刑者を追う県警が知る、事件の真実は。刑務所内での密室殺人を描いた社会派推理小説。江戸川乱歩賞受賞作 『三十九条の過失』 を改題して単行本化。
(遠藤武文)1966年長野県生まれ。早稲田大学卒業。広告代理店、郷土史出版社を経て損害保険会社勤務。本作 『三十九条の過失』 江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。
まず扉絵の著者近影(1ページアップ!)…誰かに似てる、ほらお笑いのあの人!はさておき、前評判バリバリの本書、なぜ殺人が刑務所内で起こったか?そして犯人はどうやって逃走しおおせたのか?と始まりはかなりドラマチック。
読者をトラップにかけるためになのか、作中に一人称を語る人物が三人出て来ます、1人は犯人、もう1人はまぁ事件に深く関わる人物、だからいいのですが3人目は実は事件とはほぼ無関係のため途中でアレ?となります。それが実は逆効果で若干読者としてはイラつくかも。事件は必然性がなくてはなりませんが、その必然性にもやや疑問を感じるところがなくもないです。
なぜ【刑務所内】で殺人が行われたか?それも密室で犯人は見事逃げおおせたか?というところが大きなポイントなのですが、ラスト一行にまでトリックが仕掛けられているところがちょっと蛇足な感じ。トリックはやっぱり最後には明らかにして欲しいかも。更に途中から大仕掛けのトリックがやや崩れてくるところが残念なのですが、それでもなおプロローグ(出だし)の見事さでそれをカバーしうるほど、プロローグはインパクトがあって見事ですね。
謎解きを求めて翌日の仕事も寝不足になることも忘れ、久々に一気に読み切ってしまった一冊でした。
評価:(著者近影がやっぱり気になるううう)